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2015-03

ラングラージャパンを回想する 其の一

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ラングラージャパンが消滅して10数年が経過した。
それでもアメリカではラングラーはあり続けているし、日本でも新たにエドウィングループによる日本版ラングラーが登場し今ではすっかり定着している。
個人的には、このラングラージャパンという存在には、愛着や憧憬と共に近親憎悪のような複雑な感情を抱いてきた。
流石に私も年を経て丸くなったというか、年月の経過により若い頃よりも客観的に判断できる心境になった事と、新たな資料などとの出会いから考え方を改めたところも幾つかあるので、ちょいと感想を綴ってみたいと思います。
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そもそもラングラージャパンの製品に違和感を抱かざる得ない理由は簡単である。
それはライセンス生産に基づく実質的には純国産ブランドであることだ。
1980年代の時点でリーバイスやコンバース等、アメリカ国内と同じ物が買えたブランドが多かっただけに子供の頃はエドウィンら国産ブランドとの違いがよく分からなかった覚えがある。

さて、そんなラングラーは1970年代初頭にVANジャケットと東洋紡がタッグを組んで誕生する事となるが、当時アイビースタイルとジーンズファッションは真逆の存在、対立する存在だっただけに、その両方を手掛けようとしたVANジャケットの発想力には驚かされる。
またVANジャケットは当初、ラングラーではなくリーバイスと交渉をしていたが既にリーバイスジャパン設立に向けて動いていたようで話はまとまらなかった。
そもそも、その後の両社の展開を見ると話がまとまる要素はないように感じる。
リーバイスは自社製品の販売に固執し、(そのおかげでアメリカ工場が閉鎖されるまで日本でもアメリカ製しか当時存在しなかった501が買うことが出来たわけだ。)VANジャケットは自己流の解釈により日本版ラングラーをライセンス生産していた。

ハナシを戻すとラングラーを当時展開していたブルーベル社はおおらかというか、米国内でさえ地域により販売スタイルの自由を認めていたようで海外へのライセンス生産にも抵抗は無かった。
こうして1971年、ラングラージャパンは設立し翌年の1972年からその商品が日本国内でお目見えする事となった。
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ここで日本の国内事情、国産ジーンズブランド事情を思い起こすと1970年代ではお馴染のエドウィン、ボブソン、ビッグジョンらを筆頭にバイスラー、マッキャンベル、キャントンエックスウエスト、ビッグストーン、コーンポッパー、エイトジー、カクタス、バイソン等、数多くのブランドが乱立し、「作れば作るだけ売れる」と呼ばれたジーンズブームの真っ只中となっていた。
そしてそれより以前、1960年代は国産ジーンズの黎明期であり各社がジーンズ製造を挑戦し、幾つかの先駆が誕生した時期ですが~それは又、別のお話しですね。
VANジャケット自体は既に、この頃ジーンズの生産に成功しており、別にラングラーの名前でなくてもよかったのではないだろうか?とつい思ってしまう。
何はともあれブルーベル社との提携からわずかな期間を経て一部海外部品を除き、ほぼ純国産ジーンズとしてラングラージーンズは日本デビューを果たす事となる。
(当時の国産ジーンズの多くがアメリカ製デニムやスコービル等アメリカ製ジッパーを使用していたのを思うとラングラージャパンも国産ヴィンテージデニムの一種に加えてもよいのかもしれない。)
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世界の三大ジーンズブランドWranglerの歴史と各年代の実物を紹介するHP「BLOOPERS」のブログ版。
ラングラー以外のアメリカンクロージングから国産ヴィンテージレプリカブランドまで私的感性に従い手広く紹介していきたいと思います。

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